松江城のお殿様 乱心した親戚
つづき。
堀尾忠晴 が「伊勢亀山城」と勘違いした
「丹波亀山城」の初代藩主は 前田玄以 (まえだげんい)で、
もともとお坊さんでした。
玄以が亡くなると三男の 前田茂勝 が跡を継ぎましたが、
領地もかえられ「丹波亀山藩」から「丹波八上藩」に移りました。
茂勝は熱心なキリシタンでしたので、
幕府からは何かと警戒されていました。
1608年。
やがて茂勝は藩政を省みず、
京や近江で遊び呆けるようになっていきました。
困り果てた家来たちは、何度も茂勝にまじめになるよう注意しましたが、
度重なる家来たちの言葉に逆切れした茂勝は
烈火のごとく怒りまくり、家来を次々殺していきました。
その家来の中には 徳川家康 と仲の良かった
尾池清左衛門 もいました。
これを知った家康は激怒し、前田氏を御家お取り潰しの上、
茂勝を捕らえ、その身柄を出雲国 堀尾吉晴 に預けました。
吉晴の次男、忠氏の妻は茂勝の姉だったのです。
すでに忠氏は亡くなっており10歳の三之助が松江藩藩主でしたので、
三之助に成り代わり、吉晴が茂勝の処遇を決めます。
茂勝は27歳で流罪となり、隠岐の島へ送られました。
その後島では改心し、キリシタンとしてまっとうに生き、
40歳でその生涯を終えたということです。
つづく。
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堀尾忠晴 が「伊勢亀山城」と勘違いした
「丹波亀山城」の初代藩主は 前田玄以 (まえだげんい)で、
もともとお坊さんでした。
玄以が亡くなると三男の 前田茂勝 が跡を継ぎましたが、
領地もかえられ「丹波亀山藩」から「丹波八上藩」に移りました。
茂勝は熱心なキリシタンでしたので、
幕府からは何かと警戒されていました。
1608年。
やがて茂勝は藩政を省みず、
京や近江で遊び呆けるようになっていきました。
困り果てた家来たちは、何度も茂勝にまじめになるよう注意しましたが、
度重なる家来たちの言葉に逆切れした茂勝は
烈火のごとく怒りまくり、家来を次々殺していきました。
その家来の中には 徳川家康 と仲の良かった
尾池清左衛門 もいました。
これを知った家康は激怒し、前田氏を御家お取り潰しの上、
茂勝を捕らえ、その身柄を出雲国 堀尾吉晴 に預けました。
吉晴の次男、忠氏の妻は茂勝の姉だったのです。
すでに忠氏は亡くなっており10歳の三之助が松江藩藩主でしたので、
三之助に成り代わり、吉晴が茂勝の処遇を決めます。
茂勝は27歳で流罪となり、隠岐の島へ送られました。
その後島では改心し、キリシタンとしてまっとうに生き、
40歳でその生涯を終えたということです。
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