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松江城のお殿様 堀尾家の終焉

つづき。



1633年、忠晴は35歳で突然この世を去りました。


松江藩は 忠氏・忠晴と二代続けて若い藩主を失い

頼りだった吉晴も松江城完成間際に死去しています。


跡取りがいなかった忠晴は、死の直前

次期藩主にいとこの 堀尾宗十郎 をたてましたが、

幕府はこれを認めず、堀尾家は三代で断絶してしまいました。



人々はこの堀尾家の末路を、

築城の際犠牲になった娘のたたりであろう、と恐れました。(松江城のお殿様 松江城の石垣)



堀尾吉晴 は松江藩開祖として尽力し

晩年松江城築城に情熱を注ぎましたが、その完成をみるとなくこの世を去ります。

吉晴は出雲国に来る前から隠居しており

家督を息子忠氏に譲っていまいしたので、厳密には藩主・城主ではありませんが

その功績をたたえ一般的には「初代」とされています。



堀尾忠氏 は吉晴の次男で(異説あり)

吉晴と共に雲州月山富田城に入りました。

松江城着工前に27歳で早世していますので、実際には富田城城主ですが

一般的には二代と呼ばれています。



堀尾忠晴 は忠氏の長男で亡き祖父吉晴の遺志を継ぎ、松江城を完成させます。

松江の基礎を築きますが、35歳で志なかばでこの世を去りました。

一般的には三代とされています。




戦国末期の混乱の時代から松江藩を立ち上げ

さまざまな事件・事故に遭遇しながらも

藩の地盤を固めた堀尾家の活躍はここで終わります。


ですが、ここに至るまでに

もう少し別のゴタゴタがありました。



つづく。






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