松江城のお殿様 茂助くんのせがれ 2
つづき。
会津討伐に従軍し、関ヶ原にも出陣した堀尾忠氏は
茂助くん(堀尾吉晴)の次男です。(異説あり)
では、長男はどこに行ったのでしょう?
またまた、関ヶ原より時をさかのぼること 10年。
秀吉が天下統一を果たす最後の戦、「小田原の役」の頃の話です。
秀吉は天下統一への仕上げとして
北条氏政 と 北条氏直 の小田原城に攻め入りる決断をします。
陸から海から、大軍勢が秀吉の命令で集まりました。
その中に、茂助くんの姿がありました。
堀尾家も一族総出で この戦に参加していたのです。
忠氏の兄 堀尾金助 はこの戦が初陣でした。
出発の日、金助の母は我が子を見送りに出ました。
若い金助は戦への思いを高ぶらせ、うずうずしていました。
母は頼もしくなった金助を嬉しくも思い、
また、殺し合いの場に向かわせなければならない
苦しみも感じつつ、金助の無事を祈り見送るのでした。
熱田の裁断橋でのことでした。
やがて、母の元に金助の死の知らせが届きます。
金助は討ち死にではなく
戦場の過酷な環境に病を患い、そのまま死んでしまったのでした。
18歳でした。
我が子と別れた裁断橋はボロボロになっていました。
母はこの裁断橋を修復することで
金助の供養につながると信じ、思い出の橋を直すことにしました。
時がたち、修復した裁断橋は再び傷んできました。
年老いた母は私財をなげうって、もう1度修復に臨みます。
しかし、その完成を待つことなく母はこの世を去ったのでした。
つづく。
会津討伐に従軍し、関ヶ原にも出陣した堀尾忠氏は
茂助くん(堀尾吉晴)の次男です。(異説あり)
では、長男はどこに行ったのでしょう?
またまた、関ヶ原より時をさかのぼること 10年。
秀吉が天下統一を果たす最後の戦、「小田原の役」の頃の話です。
秀吉は天下統一への仕上げとして
北条氏政 と 北条氏直 の小田原城に攻め入りる決断をします。
陸から海から、大軍勢が秀吉の命令で集まりました。
その中に、茂助くんの姿がありました。
堀尾家も一族総出で この戦に参加していたのです。
忠氏の兄 堀尾金助 はこの戦が初陣でした。
出発の日、金助の母は我が子を見送りに出ました。
若い金助は戦への思いを高ぶらせ、うずうずしていました。
母は頼もしくなった金助を嬉しくも思い、
また、殺し合いの場に向かわせなければならない
苦しみも感じつつ、金助の無事を祈り見送るのでした。
熱田の裁断橋でのことでした。
やがて、母の元に金助の死の知らせが届きます。
金助は討ち死にではなく
戦場の過酷な環境に病を患い、そのまま死んでしまったのでした。
18歳でした。
我が子と別れた裁断橋はボロボロになっていました。
母はこの裁断橋を修復することで
金助の供養につながると信じ、思い出の橋を直すことにしました。
時がたち、修復した裁断橋は再び傷んできました。
年老いた母は私財をなげうって、もう1度修復に臨みます。
しかし、その完成を待つことなく母はこの世を去ったのでした。
つづく。
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