松江城のお殿様 茂助くん
それでは堀尾吉晴についてのお話を始めます。
有名な人の名前も出てきますので・・・
時は西暦1544年。
戦国の世、まっただ中に 「茂助くん」 は生まれました。
後の松江城初代城主 堀尾吉晴 その人です。
茂助くんのお父さんは
岩倉城の織田の殿様の家来でした。
茂助くんも当然家来になり、戦国時代の荒波にのみ込まれるのでした。
というのも岩倉城の殿様は、
同じ一族の 織田信長 と戦い、負けてしまったからです。
主がいなくなった茂助くんは、浪人になってしまいました。
そこに手を差し伸べたのは、敵である 織田信長 だったのです。
茂助くんは新たな主の 織田信長 に仕えましたが、
間もなく信長の家来の 木下秀吉 に仕えるようになりました。
後の 豊臣秀吉 です。
茂助くんは秀吉のもとで、どんどん活躍し
秀吉の天下統一の実現に大きく貢献しました。
秀吉が病死すると、ライバル 徳川家康 に近づきます。
手のひら返しのような気もしますが、
茂助くんにも家来がたくさんいました。
彼らの生活、命を守る責任が茂助くんにはあったので
家康の家来となることこそ最良の策、と判断したのでしょう。
そして東軍として、天下分け目の大戦
関ヶ原の合戦に突入します。
つづく。
有名な人の名前も出てきますので・・・
時は西暦1544年。
戦国の世、まっただ中に 「茂助くん」 は生まれました。
後の松江城初代城主 堀尾吉晴 その人です。
茂助くんのお父さんは
岩倉城の織田の殿様の家来でした。
茂助くんも当然家来になり、戦国時代の荒波にのみ込まれるのでした。
というのも岩倉城の殿様は、
同じ一族の 織田信長 と戦い、負けてしまったからです。
主がいなくなった茂助くんは、浪人になってしまいました。
そこに手を差し伸べたのは、敵である 織田信長 だったのです。
茂助くんは新たな主の 織田信長 に仕えましたが、
間もなく信長の家来の 木下秀吉 に仕えるようになりました。
後の 豊臣秀吉 です。
茂助くんは秀吉のもとで、どんどん活躍し
秀吉の天下統一の実現に大きく貢献しました。
秀吉が病死すると、ライバル 徳川家康 に近づきます。
手のひら返しのような気もしますが、
茂助くんにも家来がたくさんいました。
彼らの生活、命を守る責任が茂助くんにはあったので
家康の家来となることこそ最良の策、と判断したのでしょう。
そして東軍として、天下分け目の大戦
関ヶ原の合戦に突入します。
つづく。
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