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大明京のお話 その6

つづき。



国重が腹を切って死んでしまってから

どれくらいの年月がたったのでしょうか?

大明京国重の子孫は

女を切り殺した刀を「神魂(かもす)神社」に奉納しました。


この「神魂神社」は「大庭大宮」と呼ばれ

今でも大切にされています。

かつては「大庭明神」とも呼ばれていたこともあるようで、

「大明京」という変わった名前は

神前の鍛冶屋の兵衛」が作ったからだ、とも言われています。

でも、国重の故郷の「大明帝国」からとったものだ、という人もあり

いろいろ言われていますが、本当のところはよくわかりません。


たしかに、国重はもともと異人で朝鮮半島から来た人だ、

というのは間違いないようです。


では、出雲国に来る前はどこにいたのでしょう?

信濃国、石見国、、阿波国、と

これもいろいろ言われていてわかっていませが、

ひとつ面白いことは、阿波国、今の徳島県には

大明京国重と同じ名字の「高麗」さんがたくさんおられることです。



かつての大明京屋敷は、今は駐車場になってしまいその面影は全くありません。

大明京国重は屋敷に祠を造り、金屋子神を祀っていたのですが

その祠も今は金屋子神社総本山に移されて保管されています。



結局「大明京」がどんな人物だったのかはよくわかりません。

でも、それで良かったのかもしれません。

「大明京」の人物像を伝えるものが残っていないのは、

人々の関心は刀を造った者より、刀自体に向いていたからではないでしょうか。


自分自身より自分の作品に興味を持ってもらえる、

こんなことは物造りをする者は、当たり前にそう望んでいる筈なのだから。



おわり。






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