大明京のお話 その5
つづき。
享保と呼ばれる頃、
出雲国から遠く離れた江戸で
徳川吉宗という将軍様は悩んでいました。
平和な時が長く続いてきたため
家来のお侍たちの剣術の腕前が落ちてしまっていることです。
弱い侍では、何かあったとき人々を守ることができません。
お侍たちのやる気を出させるにはどうしたらよいか
将軍様はずーっと考えていました。
そしてついに、ある命令を出しました。
それは日本全国の刀のコンテストをやろう、というものでした。
侍の魂である刀を競わせれば、
お侍たちも刺激を受けるのでは、と考えたのです。
日本中の殿様は自分の国の自慢の刀を
江戸に送ることになりました。
出雲国の殿様は出雲国一の刀、
「大明京」と「冬広」を送ることにしました。
この刀を作ったのは
二代目大明京国重 高麗治兵衛 と
二代目雲州冬広 高橋喜兵衛 でした。
江戸に集められた国中の刀は
出雲国の刀よりさらにすばらしいものがたくさんありました。
このコンテストにより
全国の刀鍛冶はよりよい刀を生み出すために
以前よりも仕事に励み、自分の腕を磨いたに違いありません。
国重もまさに命をかけて、刀造りに励みました。
つづく。
享保と呼ばれる頃、
出雲国から遠く離れた江戸で
徳川吉宗という将軍様は悩んでいました。
平和な時が長く続いてきたため
家来のお侍たちの剣術の腕前が落ちてしまっていることです。
弱い侍では、何かあったとき人々を守ることができません。
お侍たちのやる気を出させるにはどうしたらよいか
将軍様はずーっと考えていました。
そしてついに、ある命令を出しました。
それは日本全国の刀のコンテストをやろう、というものでした。
侍の魂である刀を競わせれば、
お侍たちも刺激を受けるのでは、と考えたのです。
日本中の殿様は自分の国の自慢の刀を
江戸に送ることになりました。
出雲国の殿様は出雲国一の刀、
「大明京」と「冬広」を送ることにしました。
この刀を作ったのは
二代目大明京国重 高麗治兵衛 と
二代目雲州冬広 高橋喜兵衛 でした。
江戸に集められた国中の刀は
出雲国の刀よりさらにすばらしいものがたくさんありました。
このコンテストにより
全国の刀鍛冶はよりよい刀を生み出すために
以前よりも仕事に励み、自分の腕を磨いたに違いありません。
国重もまさに命をかけて、刀造りに励みました。
つづく。
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