月山富田城のお殿様 高秀の失脚
つづき。
佐々木高秀 (ささきたかひで)たちは
細川頼之 (ほそかわよりゆき)を失脚させることに成功しました。
しかし、将軍 足利義満 (あしかがよしみつ)は
あっさり頼之を呼び戻し復帰させてしまいました。
これにより騒動を起こした高秀は領地をすべて没収。
さらに追討令まで出され、京を追われることになりました。
追討軍には京極家の本家、六角氏も含まれていました。
少し時間をさかのぼります。
高秀は息子、京極高詮 (きょうごくたかのり)を
六角家の養子に送ったことがあります。
それは当時の当主 六角氏頼 (ろっかくうじより)に
跡継ぎがいなかったためでした。
六角氏は佐々木一族の本流です。
一族の頂点に立つ六角家の後継者が自分の息子となり
高秀の勢いも増していきます。
・・・が、ある時状況が一変しました。
氏頼に男子(六角満高)が誕生したのです。
そして間もなく氏頼が死去。
ここで当主をめぐって六角家で跡目争いがおこりました。
幕府は幼い満高を六角氏の当主とし、
高詮に満高のサポートを命じました。
やがて高詮は近江守護職を解かれ、京極家に戻ります。
これらの出来事が高秀の幕府不振の原因となり
細川頼之を失脚させることへとつながります。
さて、高秀が失脚したため
没収された領地のひとつ、
出雲と隠岐は山名氏の手に渡りました。
その山名氏も明徳の乱で失脚し
やがては京極家が再び治めることになります。
その後、高秀は許され64歳で生涯を閉じます。
跡を継いだのは高詮。
そして、その弟に 高久 という男がいました。
つづく。
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佐々木高秀 (ささきたかひで)たちは
細川頼之 (ほそかわよりゆき)を失脚させることに成功しました。
しかし、将軍 足利義満 (あしかがよしみつ)は
あっさり頼之を呼び戻し復帰させてしまいました。
これにより騒動を起こした高秀は領地をすべて没収。
さらに追討令まで出され、京を追われることになりました。
追討軍には京極家の本家、六角氏も含まれていました。
少し時間をさかのぼります。
高秀は息子、京極高詮 (きょうごくたかのり)を
六角家の養子に送ったことがあります。
それは当時の当主 六角氏頼 (ろっかくうじより)に
跡継ぎがいなかったためでした。
六角氏は佐々木一族の本流です。
一族の頂点に立つ六角家の後継者が自分の息子となり
高秀の勢いも増していきます。
・・・が、ある時状況が一変しました。
氏頼に男子(六角満高)が誕生したのです。
そして間もなく氏頼が死去。
ここで当主をめぐって六角家で跡目争いがおこりました。
幕府は幼い満高を六角氏の当主とし、
高詮に満高のサポートを命じました。
やがて高詮は近江守護職を解かれ、京極家に戻ります。
これらの出来事が高秀の幕府不振の原因となり
細川頼之を失脚させることへとつながります。
さて、高秀が失脚したため
没収された領地のひとつ、
出雲と隠岐は山名氏の手に渡りました。
その山名氏も明徳の乱で失脚し
やがては京極家が再び治めることになります。
その後、高秀は許され64歳で生涯を閉じます。
跡を継いだのは高詮。
そして、その弟に 高久 という男がいました。
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