月山富田城のお殿様 道誉の復讐
つづき。
斯波高経 (しばたかつね)に面目をつぶされた
佐々木道誉 (ささきどうよ)でしたが
もちろん大人しく引っ込むような男ではありません。
ある日、将軍 足利義詮(あしかがよしあきら)の庭で
花見が開かれることになりました。
将軍が主役の花見なだけあって、
さぞかし豪華な宴会が開かれるのでしょう。
この主催者が斯波高経で、
道誉にも招待状を送っていました。
しかし、道誉はここで仕返しに出ます。
将軍の花見の日と同じ日に
同じように花見の大宴会をぶつけてきたのです。
舞台は小塩山勝持寺。
参道の柵や橋などには
金襴の織物や銀箔などで装飾し
足元にも純白の綿などが敷かれました。
木々には香炉が吊り下げられ
あたり一面を香りで包みます。
本堂の庭に出ると、桜の木に巨大な花瓶が据え付けられ
桜の木そのものを生け花とした豪胆な演出。
しかも2本を1組として2組の生け花です。
そして仰天する招待客の目は、さらに大きくなりました。
桜の向こう側に張り巡らされた幕の前に
大量のご馳走と高価な品々が並んでいたのです。
それは茶闘という遊びの賞品でした。
宴には京都中の芸人も呼ばれており
それは盛り上がる花見となりました。
高経の花見は完全に陰ってしまいました。
顔に泥を塗られた高経の怒りは
道誉へ直接向けられます。
些細なことから道誉から守護職と領地を取り上げてしまったのです。
これに納得できない道誉は
高経に敵意を持つ仲間を集めて
将軍に「高経、謀反の疑いあり」と詰め寄りました。
将軍、義詮は高経を信頼していましたが、
その圧力には勝てず、泣く泣く高経を京から出ていくよう命じます。
そして、討伐軍を送りました。
高経は籠城し抵抗しますが、やがて病死。
報復合戦を繰り広げた道誉も
数年後に78歳でその生涯を終えることになります。
つづく。
斯波高経 (しばたかつね)に面目をつぶされた
佐々木道誉 (ささきどうよ)でしたが
もちろん大人しく引っ込むような男ではありません。
ある日、将軍 足利義詮(あしかがよしあきら)の庭で
花見が開かれることになりました。
将軍が主役の花見なだけあって、
さぞかし豪華な宴会が開かれるのでしょう。
この主催者が斯波高経で、
道誉にも招待状を送っていました。
しかし、道誉はここで仕返しに出ます。
将軍の花見の日と同じ日に
同じように花見の大宴会をぶつけてきたのです。
舞台は小塩山勝持寺。
参道の柵や橋などには
金襴の織物や銀箔などで装飾し
足元にも純白の綿などが敷かれました。
木々には香炉が吊り下げられ
あたり一面を香りで包みます。
本堂の庭に出ると、桜の木に巨大な花瓶が据え付けられ
桜の木そのものを生け花とした豪胆な演出。
しかも2本を1組として2組の生け花です。
そして仰天する招待客の目は、さらに大きくなりました。
桜の向こう側に張り巡らされた幕の前に
大量のご馳走と高価な品々が並んでいたのです。
それは茶闘という遊びの賞品でした。
宴には京都中の芸人も呼ばれており
それは盛り上がる花見となりました。
高経の花見は完全に陰ってしまいました。
顔に泥を塗られた高経の怒りは
道誉へ直接向けられます。
些細なことから道誉から守護職と領地を取り上げてしまったのです。
これに納得できない道誉は
高経に敵意を持つ仲間を集めて
将軍に「高経、謀反の疑いあり」と詰め寄りました。
将軍、義詮は高経を信頼していましたが、
その圧力には勝てず、泣く泣く高経を京から出ていくよう命じます。
そして、討伐軍を送りました。
高経は籠城し抵抗しますが、やがて病死。
報復合戦を繰り広げた道誉も
数年後に78歳でその生涯を終えることになります。
つづく。
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