松江城のお殿様 松平宗衍
つづき。
先代同様、江戸で急死した 松平宣維 (まつだいらのぶずみ)は34歳でした。
6代目の藩主は宣維の長男、3歳の 幸千代 でした。
のちに 松平宗衍 (まつだいらむねのぶ)と名乗ります。
貧乏が続く松江藩にさらなる苦難が襲います。
宗衍が藩主になった翌年、享保の大飢饉が起こります。
災害や害虫などによって、作物は大ダメージを受けました。
大凶作にもかかわらず、重税を課せられた農民たちは
ついに一揆をおこします。
やがて青年となった宗衍は、
それまでやりたい放題だった家老たちを抑え、
自らがまつりごとに乗り出します。
まずはとにかくお金が必要です。
斬新な方法を考え実践しました。
■ 幕府や藩内・他国の大商人からの借金 (才覚の実施)
資金繰りは良くなりましたが、借金は膨らみます。
■ 藩営銀行「泉府(せんぷ)方」の開設
新しい産業の資金調達などに大きな役割を果たしました。
■ 年貢の前払い (義田方の実施)
1度にたくさんの年貢を納めれば、一定期間年貢を免除しました。
■ 新しく田畑を作る権利を売りました。 (新田方の実施)
新しい田畑には年貢を免除させます。
新しい産業も始めました。
そのひとつに 「高麗ニンジン」 の栽培があります。
始めた当初はうまくいきませんでした。
ですが、後に「雲州人参」と呼ばれるほどの名産となり
松江藩の大事な収入源として一目おかれる産業になりました。
現在も全国的に産地として知られています。
さまざまな改革を打ち立て実践した結果
松江藩は持ち直していきました。
宗衍は藩の健全化を夢見て、今まで以上に奔走するのですが・・・。
つづく。
先代同様、江戸で急死した 松平宣維 (まつだいらのぶずみ)は34歳でした。
6代目の藩主は宣維の長男、3歳の 幸千代 でした。
のちに 松平宗衍 (まつだいらむねのぶ)と名乗ります。
貧乏が続く松江藩にさらなる苦難が襲います。
宗衍が藩主になった翌年、享保の大飢饉が起こります。
災害や害虫などによって、作物は大ダメージを受けました。
大凶作にもかかわらず、重税を課せられた農民たちは
ついに一揆をおこします。
やがて青年となった宗衍は、
それまでやりたい放題だった家老たちを抑え、
自らがまつりごとに乗り出します。
まずはとにかくお金が必要です。
斬新な方法を考え実践しました。
■ 幕府や藩内・他国の大商人からの借金 (才覚の実施)
資金繰りは良くなりましたが、借金は膨らみます。
■ 藩営銀行「泉府(せんぷ)方」の開設
新しい産業の資金調達などに大きな役割を果たしました。
■ 年貢の前払い (義田方の実施)
1度にたくさんの年貢を納めれば、一定期間年貢を免除しました。
■ 新しく田畑を作る権利を売りました。 (新田方の実施)
新しい田畑には年貢を免除させます。
新しい産業も始めました。
そのひとつに 「高麗ニンジン」 の栽培があります。
始めた当初はうまくいきませんでした。
ですが、後に「雲州人参」と呼ばれるほどの名産となり
松江藩の大事な収入源として一目おかれる産業になりました。
現在も全国的に産地として知られています。
さまざまな改革を打ち立て実践した結果
松江藩は持ち直していきました。
宗衍は藩の健全化を夢見て、今まで以上に奔走するのですが・・・。
つづく。
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