松江城のお殿様 直政と月照寺
つづき。
松江城の西、程近いところに洞雲寺(とううんじ)というお寺がありました。
長い間、荒れ果てていたこのお寺に
松江藩、松平家初代藩主、松平直政 は注目しました。
城に近く山々に囲まれ、守りに適した地形から
この洞雲寺に母、月照院(げっしょういん)の霊牌の安置を決め、
蒙光山月照寺(むこうさんげっしょじ)と改めました。
直政が松江に来てから26年たっていました。
その2年後、直政は幕命により向かった江戸で病に倒れ息を引き取ります。
66年の生涯を閉じました。
死の直前、長男 松平綱隆 (まつだいらつなたか)に
自分を月照寺に葬るよう命じました。
綱隆は直政の遺命に従い、月照寺に墓を建て
現在の歓喜山月照寺(かんきさんげっしょうじ)と改称しました。
その後、月照寺は松平家の菩提寺として栄え、
歴代藩主の墓所となり、藩主たちの数々の遺品が納められています。
直政は、「富国・安民・質素・公平・節財・知人・立法」をまつりごとの柱とし
農業、学問、治水などの面でさまざまな功績を残し、
出雲大社の造営なども手がけました。
また、キリシタンの弾圧は厳しく、
前の藩主、京極氏や堀尾氏のそれを上回るものだったといわれています。
つづく。
松江城の西、程近いところに洞雲寺(とううんじ)というお寺がありました。
長い間、荒れ果てていたこのお寺に
松江藩、松平家初代藩主、松平直政 は注目しました。
城に近く山々に囲まれ、守りに適した地形から
この洞雲寺に母、月照院(げっしょういん)の霊牌の安置を決め、
蒙光山月照寺(むこうさんげっしょじ)と改めました。
直政が松江に来てから26年たっていました。
その2年後、直政は幕命により向かった江戸で病に倒れ息を引き取ります。
66年の生涯を閉じました。
死の直前、長男 松平綱隆 (まつだいらつなたか)に
自分を月照寺に葬るよう命じました。
綱隆は直政の遺命に従い、月照寺に墓を建て
現在の歓喜山月照寺(かんきさんげっしょうじ)と改称しました。
その後、月照寺は松平家の菩提寺として栄え、
歴代藩主の墓所となり、藩主たちの数々の遺品が納められています。
直政は、「富国・安民・質素・公平・節財・知人・立法」をまつりごとの柱とし
農業、学問、治水などの面でさまざまな功績を残し、
出雲大社の造営なども手がけました。
また、キリシタンの弾圧は厳しく、
前の藩主、京極氏や堀尾氏のそれを上回るものだったといわれています。
つづく。
スポンサーサイト
コメント
No title
はい、なんとか生存しています。
というよりは、私の住まいには地震の影響はいまのところないみたいで。
でも、映像とかみていると背筋が寒くなりました。
カジヤさんもお気をつけて・・・。
というよりは、私の住まいには地震の影響はいまのところないみたいで。
でも、映像とかみていると背筋が寒くなりました。
カジヤさんもお気をつけて・・・。
甲賀民さん
ありがとうございます。
報道による情報は
今後、自分たちの身に降りかかった時、
何かの力になるはずです。
今を目に焼き付けておきましょう。
報道による情報は
今後、自分たちの身に降りかかった時、
何かの力になるはずです。
今を目に焼き付けておきましょう。