fc2ブログ

プロフィール

カジヤ

Author:カジヤ
ご先祖様を調べています。
調査方法、失敗、発見、トラブルなどを紹介していきます。

最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
FC2カウンター
カレンダー
09 | 2011/10 | 11
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
FC2ブログランキング
なんかアクセスアップに役立つ らしいよ

FC2Blog Ranking

月山富田城のお殿様 後醍醐天皇

つづき。


源頼朝
 が起こした鎌倉幕府は3代で源氏が断絶し

代わって執権の北条氏が政治を執り行うようになりました。


執権政治が確立した頃,

大国の 「元」 から年貢の要求がありました。


これに対して、朝廷と幕府は回答をしませんでした。

無視したのです。

それから数年後、元の軍隊が海を渡って日本に攻めてきました。


2度にわたって襲来した元は

2度とも台風に見舞われて撤退していきました。

                 (文永の役・弘安の役)

なんとか元の脅威は去りました。

ですが、大きな問題が残りました。


幕府は命がけで戦った武士たちに、

充分な報酬を与えてやれなかったのです。


当然武士たちは不満が募ります。

このタイミングで動いたのが

後醍醐天皇 (ごだいごてんのう)でした。


後醍醐天皇は天皇中心の政治を夢見ていました。

また、鎌倉幕府が嫌いでした。

幕府は 後醍醐天皇の甥 を次の天皇として認めていました。

これは後醍醐天皇の父、

後宇多法皇 (ごうたほうおう)の遺言だったので

幕府としてはそれに従っただけなのですが、

後醍醐天皇は自分の子を天皇に、と願っていたのです。


まさに逆恨みで幕府に敵対心を持った醍醐天皇は

ついに討幕を画策します。


が、実行前に計画がバレてしまいました。

賛同した者が流罪などの処分を受ける中、

後醍醐天皇はなんとか処分を免れました。


しかし、後醍醐天皇はあきらめません。

7年後、再び倒幕を計画、挙兵します。

ところが、この計画も幕府にバレていました。


討幕軍は次々に敗退し

後醍醐天皇は幕府に捕まってしまい、惨敗でした。


今度は後醍醐天皇にも重い罰が与えられました。

隠岐島へ島流しとなったのです。


これで、討幕運動は鎮まったかに思われましたが、

実際には各地でこの動きは継続し、くすぶっていました。


そして、後醍醐天皇もあきらめてはいませんでした。



つづく。







スポンサーサイト