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月山富田城のお殿様 佐々木義清 前史その7

つづき。


三日平氏の乱の少し前、

平氏は安徳天皇と三種の神器と共に都を逃げ出し、

拠点を長門国(山口県)などに移しました。


追撃するのは 源頼朝 の弟たち、

源範頼 (みなもとののりより)と 源義経 です。


範頼は九州に回り込み、平氏の背後をふさぎました。

義経は各国の強力な水軍を率いて瀬戸内海を西に進みます。


そして、ついに関門海峡壇ノ浦で源平両軍が衝突しました。

序盤は潮の流れを熟知していた平氏が有利でしたが、

舟のこぎ手を射る、という義経の掟破りの作戦により形勢は逆転。


やがて、敗北を悟った平氏たちは海に身を投げ消えていきました。

幼い安徳天皇も神器を身につけ船から飛び降りました。


これを 壇ノ浦の戦い といいます。

この戦で平氏は滅亡し、源氏に敵対する大きな勢力は無くなりました。



壇ノ浦で活躍した源義経ですが

頼朝はあまり良く思っていませんでした。


義経の卑怯な戦法や、

勝手に官位(役目と地位)を受けたりしていたことが

頼朝に不信感を与えていたのです。


頼朝と義経との溝は次第に深くなり

とうとう義経追討命令が出されました。


義経も応戦の構えをとりますが、

なかなか体制が整わず、各地を追われ

最後にた十代を過ごした陸奥国平泉にたどり着きました。


陸奥国、奥州は 藤原秀衡 (ふじわらのひでひら)が治めていました。


ちょうどこの頃、秀衡と頼朝は奥州で採れる金をめぐってもめていました。

いずれ頼朝と一戦交えることになるだろう、と考えていた秀衡は

義経を迎え入れ、味方につきます。


それから間もなく秀衡は病死してしまいました。

義経を守り、頼朝との戦に備えるよう後を託されたのは

次男 藤原泰衡 (ふじわらのやすひら)でした。


しかし、頼朝の脅威に恐れた泰衡は

秀衡の遺命を無視し、義経追討に出ます。


義経は自害しました。


義経の首を頼朝に差し出し、

これにより奥州は危機を免れました。


そう秀衡は信じていました、が・・・。




つづく。






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