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松江城のお殿様 お城のその後

明治に入ると全国のお城は無用となりました。

多くのお城が解体され、人びとに資材として供給されました。

松江城のお隣、かつて、堀尾吉晴がそのお家騒動の鎮圧に向かった米子城

お風呂屋さんの薪になってしまいました。


松江城もこの例にもれることなく、

諸建造物が民間に払い下げとなり、次々解体されました。

天守閣も180円で落札されたので、取り壊しも時間の問題となっていました。


そんな中、松江のシンボル、松江城を救う為に偉大な人物が立ち上がりました。


お百姓さんです。


といってもお金のある豪農。

その名を、勝部元右衛門栄忠 (かつべほんうえもんしげただ)。

その息子、勝部元右衛門景浜 (かつべほんうえもんかげはま)。


そして、銅山を経営していた勝部家と親しかった

元藩士 銅山方役人 高城権八 (たかぎごんぱち)。


これらの人々が奔走し、資財をなげうって、

松江城を買い戻し、保存に努めたのです。



当時は明治初頭。国は文明開化一直線です。

侍を無用とし、廃刀令や断髪令などが交付され、

お城に関しても廃城令という法律で解体を促しました。


そんな国の命令を拒否してまで、

(きちんと法的にお金で解決しているのですが。)

残したかったお城なのです。


それはこの地の象徴であり、城下に暮らす庶民の誇りでした。

時代の流れが大きく変わるその中でも

人々にとって、その心に刻まれた松江城を失うということは

耐え難いものだったのでしょうね。






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