松江城のお殿様 まとめ
1600年の関ヶ原の戦いの後、
出雲国にやってきたお殿様が、松江を造りました。
それから400年。
今年度は開府400年祭の最終年度として
松江が燃えております。
それでは、今までご紹介した そのお殿様たちを振り返ってみましょう。
1.堀尾吉晴(よしはる) 息子、忠氏とともに出雲国月山富田城に入る。
松江城築城直前に死去。
2.堀尾忠氏(ただうじ) 遠江国浜松城より出雲国月山富田城に入る。
松江城築城場所の選定中に急死。
3.堀尾忠晴(ただはる) 松江城初代城主。嗣子なく死去した為、堀尾家は断絶。
4.京極忠高(ただたか) 若狭小浜より移封するも、嗣子なく死去。
5.松平直政(なおまさ) 信濃松本より移封。徳川家康の孫。出雲松江藩松平家初代藩主。
6.松平綱隆(つなたか) 第2代藩主。
7.松平綱近(つなちか) 第3代藩主。
8.松平吉透(よしとう) 第4代藩主。綱近の弟。
9.松平宣維(のぶずみ) 第5代藩主。刀剣、大明京を幕府に提出。
10.松平宗衍(むねのぶ) 第6代藩主。
11.松平治郷(はるさと) 第7代藩主。強圧的な改革により財政再建を成し遂げる。
茶人、不昧(ふまい)公として名高い。
12.松平斉恒(なりつね) 第8代藩主。
13.松平斉貴(なりとき) 第9代藩主。強制的に隠居させられる。
14.松平定安(さだやす) 第10代藩主。伊予松山藩より迎えられる。最後の藩主。
■ 堀尾吉晴は関ヶ原よりも前に隠居していましたので、
藩主でも城主でもありませんでしたが、
息子、忠氏と孫の忠晴のサポートに尽力したため、
その功績をたたえ、初代藩主とされることが一般的です。
さて、明治に入り江戸時代が終わり、
サムライはいなくなりました。
松江城はどうなってしまったのでしょうか?
出雲国にやってきたお殿様が、松江を造りました。
それから400年。
今年度は開府400年祭の最終年度として
松江が燃えております。
それでは、今までご紹介した そのお殿様たちを振り返ってみましょう。
1.堀尾吉晴(よしはる) 息子、忠氏とともに出雲国月山富田城に入る。
松江城築城直前に死去。
2.堀尾忠氏(ただうじ) 遠江国浜松城より出雲国月山富田城に入る。
松江城築城場所の選定中に急死。
3.堀尾忠晴(ただはる) 松江城初代城主。嗣子なく死去した為、堀尾家は断絶。
4.京極忠高(ただたか) 若狭小浜より移封するも、嗣子なく死去。
5.松平直政(なおまさ) 信濃松本より移封。徳川家康の孫。出雲松江藩松平家初代藩主。
6.松平綱隆(つなたか) 第2代藩主。
7.松平綱近(つなちか) 第3代藩主。
8.松平吉透(よしとう) 第4代藩主。綱近の弟。
9.松平宣維(のぶずみ) 第5代藩主。刀剣、大明京を幕府に提出。
10.松平宗衍(むねのぶ) 第6代藩主。
11.松平治郷(はるさと) 第7代藩主。強圧的な改革により財政再建を成し遂げる。
茶人、不昧(ふまい)公として名高い。
12.松平斉恒(なりつね) 第8代藩主。
13.松平斉貴(なりとき) 第9代藩主。強制的に隠居させられる。
14.松平定安(さだやす) 第10代藩主。伊予松山藩より迎えられる。最後の藩主。
■ 堀尾吉晴は関ヶ原よりも前に隠居していましたので、
藩主でも城主でもありませんでしたが、
息子、忠氏と孫の忠晴のサポートに尽力したため、
その功績をたたえ、初代藩主とされることが一般的です。
さて、明治に入り江戸時代が終わり、
サムライはいなくなりました。
松江城はどうなってしまったのでしょうか?
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