松江城のお殿様 不昧公
つづき。
松平治郷 は
21歳の時、「 不昧」 (ふまい)の号を授かりました。
そして、茶の湯を極め不昧流の祖となりました。
茶器の収集に夢中になり、
藩の財政を悪化させるほどお茶を愛した治郷。
このお殿様の存在は城下にも大きな影響を与えました。
庶民の間にもお茶の文化が発展し、
それに伴い和菓子作りも発達しました。
また、相撲好きでもあった治郷は、多くの力士を抱えていました。
その中でも特に名高いのは
雷電為右衛門 (らいでんためえもん)です。
当時の日本人とは思えない巨体で勝ち星を量産しました。
幕内で負けはたった10回。
まさに最強無敵の力士、出雲国のヒーローでした。
現在、松江ではお茶、和菓子が名物となり
治郷が集めた茶器は松江の宝として今に伝わります。
文化レベルの向上に大きく貢献した松平治郷を
松江では親しみをこめてこう呼びます。
「 松平不昧公 」
つづく。
松平治郷 は
21歳の時、「 不昧」 (ふまい)の号を授かりました。
そして、茶の湯を極め不昧流の祖となりました。
茶器の収集に夢中になり、
藩の財政を悪化させるほどお茶を愛した治郷。
このお殿様の存在は城下にも大きな影響を与えました。
庶民の間にもお茶の文化が発展し、
それに伴い和菓子作りも発達しました。
また、相撲好きでもあった治郷は、多くの力士を抱えていました。
その中でも特に名高いのは
雷電為右衛門 (らいでんためえもん)です。
当時の日本人とは思えない巨体で勝ち星を量産しました。
幕内で負けはたった10回。
まさに最強無敵の力士、出雲国のヒーローでした。
現在、松江ではお茶、和菓子が名物となり
治郷が集めた茶器は松江の宝として今に伝わります。
文化レベルの向上に大きく貢献した松平治郷を
松江では親しみをこめてこう呼びます。
「 松平不昧公 」
つづく。
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