松江城のお殿様 立ち直った松江藩
つづき。
七台目藩主 松平治郷 (まつだいらはるさと)の家老
朝日丹波の改革は凄まじいものでした。
先代藩主をも退陣させる人員削減、
借金の帳消し、または元金のみの返済、
年貢免除の取り消しなど、
まさに身分を問わず国を挙げての
一大倹約事業でした。
当時の人々はかなり苦しい生活を強いられたに違いありません。
しかし、その甲斐あって
松江藩は万年貧乏からの脱出をはたし、
富裕藩へと変貌します。
産業も充実し安定した国に生まれ変わりました。
かの、天保の大飢饉では打撃を受けるものの
蓄えにより他国より餓死者が少なかったといいます。
それどころか、隣国からの避難民が殺到したとも伝わっています。
松平治郷と朝日丹波の名は
この功績により後世に残ることとなりました。
ところが、財政が健全化すると治郷は
今までの反動からか、ま逆の生き方を始めてしまいました。
つづく。
七台目藩主 松平治郷 (まつだいらはるさと)の家老
朝日丹波の改革は凄まじいものでした。
先代藩主をも退陣させる人員削減、
借金の帳消し、または元金のみの返済、
年貢免除の取り消しなど、
まさに身分を問わず国を挙げての
一大倹約事業でした。
当時の人々はかなり苦しい生活を強いられたに違いありません。
しかし、その甲斐あって
松江藩は万年貧乏からの脱出をはたし、
富裕藩へと変貌します。
産業も充実し安定した国に生まれ変わりました。
かの、天保の大飢饉では打撃を受けるものの
蓄えにより他国より餓死者が少なかったといいます。
それどころか、隣国からの避難民が殺到したとも伝わっています。
松平治郷と朝日丹波の名は
この功績により後世に残ることとなりました。
ところが、財政が健全化すると治郷は
今までの反動からか、ま逆の生き方を始めてしまいました。
つづく。
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