松江城のお殿様 松江城の呪い
つづき。
出雲国松江藩に新しく移された 松平直政 。
西軍として敵対した毛利氏の監視・牽制のため
徳川家康 の孫が松江にやってきました。
初めて松江城に入った直政は天守の様子に驚きました。
天守は長年放置されて荒れ放題になっていたのです。
直政の前の藩主 京極忠高 は若くして跡継ぎなく急死。
その前の藩主 堀尾忠晴 も同じく跡継ぎのないまま急死。
さらにその前の藩主 堀尾忠氏 は変死。
松江城築城に命をかけた 堀尾吉晴 の娘は池に身投げ。
さらに家老と孫の謀反によるお家騒動。
松江城は築城の時から主に不幸を呼び集めていました。
松江の人々は松江城は祟られている、とうわさしていました。
それは、築城の時突然さらわれ、
生きたまま人柱にされた若い娘の怨霊が
城の主の命を奪っているのだ、というものでした。
参照 「 松江城のお殿様 松江城の石垣 」
直政はその荒れ果てた天守の中にたたずむ
一人の若い娘を目にしました。
娘は直政を睨み
「この城はわらわのものなり。」と言い放ちました。
直政は動じることなく
「あいわかった。明日にでも このしろ をそなたにくれてやろう。」
そう答えると、娘はスーッと消えてしまいました。
直政は家来に「コノシロ」という魚を用意させ
天守の最上階、天狗の間に供え、手厚く供養しました。
翌朝、コノシロは無くなり
コノシロをのせていた三宝だけが城内のやぐらで見つかりました。
それから、娘が現れることはありませんでした。
松江城は娘に呪われていたのか、それが解かれたのかわかりませんが
その後、松平家は明治の廃藩置県まで続くことになります。
つづく。
出雲国松江藩に新しく移された 松平直政 。
西軍として敵対した毛利氏の監視・牽制のため
徳川家康 の孫が松江にやってきました。
初めて松江城に入った直政は天守の様子に驚きました。
天守は長年放置されて荒れ放題になっていたのです。
直政の前の藩主 京極忠高 は若くして跡継ぎなく急死。
その前の藩主 堀尾忠晴 も同じく跡継ぎのないまま急死。
さらにその前の藩主 堀尾忠氏 は変死。
松江城築城に命をかけた 堀尾吉晴 の娘は池に身投げ。
さらに家老と孫の謀反によるお家騒動。
松江城は築城の時から主に不幸を呼び集めていました。
松江の人々は松江城は祟られている、とうわさしていました。
それは、築城の時突然さらわれ、
生きたまま人柱にされた若い娘の怨霊が
城の主の命を奪っているのだ、というものでした。
参照 「 松江城のお殿様 松江城の石垣 」
直政はその荒れ果てた天守の中にたたずむ
一人の若い娘を目にしました。
娘は直政を睨み
「この城はわらわのものなり。」と言い放ちました。
直政は動じることなく
「あいわかった。明日にでも このしろ をそなたにくれてやろう。」
そう答えると、娘はスーッと消えてしまいました。
直政は家来に「コノシロ」という魚を用意させ
天守の最上階、天狗の間に供え、手厚く供養しました。
翌朝、コノシロは無くなり
コノシロをのせていた三宝だけが城内のやぐらで見つかりました。
それから、娘が現れることはありませんでした。
松江城は娘に呪われていたのか、それが解かれたのかわかりませんが
その後、松平家は明治の廃藩置県まで続くことになります。
つづく。
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