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松江城のお殿様 忠晴の不覚

つづき。



大阪冬の陣で和解した豊臣・徳川両家でしたが

豊臣方の不穏な動きを知った家康は

豊臣家に大坂から立ち去るよう要求します。


これに激怒した豊臣方は

再び家康と戦うことを決めました。


大坂夏の陣です。


堀尾忠晴 はこの戦にも参加しました。


圧倒的な兵力で豊臣方を打ち崩し、徳川方は勝利しました。

大坂城は焼け落ち、豊臣一族は滅亡してしまいました。


ここから本格的な徳川政権が始まります。



それから17年後、34歳になった忠晴は

幕府から命令を受けました。


「亀山城を修理しなさい。」


ただちに、伊勢亀山城に向かい、修繕工事を始めました。

ですが、工事を行うに当たって天守閣がどうも邪魔だったので、

いったん解体することにしました。


順調に解体工事は進みました。

そんな中、忠晴は奉行と話しをして、とんでもないことに気がつきます。


幕府の命令は 「丹波亀山城の修理」でしたが、

忠晴は 「伊勢亀山城の修理」と勘違いしていたのです。


大急ぎで天守閣の解体工事を止めようとしましたが、

時すでに遅く、見事に瓦礫の山になっていたのでした。


その後、伊勢亀山城に天守がそびえることはありませんでした。

また、丹波亀山城は他の大名の手によって見事に修繕され、

後の世まできちんと残されました。




その翌年、堀尾家にある事件が起きるのでした。





つづく。







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