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松江城のお殿様 茂助くん出番なし

つづき。


家康が会津討伐に出る裏には

石田三成 が関係していました。


石田三成は、豊臣家の忠実な家来です。

豊臣家を無視して好き放題やらかし始めた家康を

なんとかしなけらばとならない、と考えていたのですが、

同じ考えを持つ者がいました。


それが会津の 直江兼続 だったのです。


三成と兼続は前もって計画を考えていました。


兼続が会津に家康をおびき寄せ

大坂が留守になったスキに

三成が家康を倒すために仲間の大名たちと連携を取ろう、

というものでした。


まんまとその作戦通りに動いた家康を見張るため

三成は一人の男に命令しました。


その男は 加賀井弥八郎。

美濃国 加賀井城の殿様、 加賀井重望 です。


三成の命令を受けた弥八郎は

「秀吉様の遺言を無視する大悪党、家康め。
 
 ワシが成敗してくれるわ。」

秀吉の名刀村正を手に意気揚々と出発するのでした。


話はそれますが、

この「 村正 」という刀。

徳川家には不吉な刀として知られています。

家康もこの村正で傷つけられ、恐れていました。



「豊臣秀頼の使者」ということにして、江戸にたどり着いた弥八郎。

好き勝手してても、家康は豊臣家の家来なので、

秀頼の使者と言えば会わずにはいられないだろう、と考えたのです。


ですが、そう簡単にはいきません。

対応に出た家来は

「家康さまは病気です。誰ともお会いになれません。」

の一点張り。

弥八郎も食い下がりましたが、結局どうすることもできず

諦めて引き上げるハメになったのです。




家康の命令で、越前に帰る茂助くん。

三成の命令で、江戸に向かったものの、引き返す弥八郎くん。


この後、運命は2人を翻弄します。



つづく。








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