大明京のお話 その1
「大明京」という人は、つまり
刀鍛冶屋。
いかん。簡潔すぎた。
推測を交え、お話しましょう。
むかしむかし、豊臣秀吉という日本一の殿様が
お隣の朝鮮という国と戦をしていました。
そして、その途中で秀吉は死んでしまい、
戦は止めることになりました。
その時、朝鮮からたくさんの職人達が
日本に連れて来られました。
一人の朝鮮の職人は、日本に来て日本刀を作ることにしました。
いくつかの地で修業をし、
鍛冶屋の神様を奉る「金屋子神社」総本山がある
出雲国で刀を作るようになりました。
ある日、出雲国の殿様は湖の近くにお城を建てようと思い立ちました。
そして、殿様の命令でたくさんの職人たちがお城を建てる為に集められました。
その中には朝鮮から来たあの職人もいました。
山奥から湖の近くに引っ越して、
お城造りに必要な釘や鉄の道具ばかり作り続けました。
朝鮮の鍛冶職人は、いつの頃からか名を「弥九郎」と決め
鍛冶屋の名前として「国重」と名乗るようになりました。
数年後、お城と城下町が完成しました。
お城が出来上がると、今度はお侍のために刀を作りました。
その刀はとても素晴らしい物だったので、
殿様は国重に褒美として
「高麗」という名字を与えました。
つづく。
刀鍛冶屋。
いかん。簡潔すぎた。
推測を交え、お話しましょう。
むかしむかし、豊臣秀吉という日本一の殿様が
お隣の朝鮮という国と戦をしていました。
そして、その途中で秀吉は死んでしまい、
戦は止めることになりました。
その時、朝鮮からたくさんの職人達が
日本に連れて来られました。
一人の朝鮮の職人は、日本に来て日本刀を作ることにしました。
いくつかの地で修業をし、
鍛冶屋の神様を奉る「金屋子神社」総本山がある
出雲国で刀を作るようになりました。
ある日、出雲国の殿様は湖の近くにお城を建てようと思い立ちました。
そして、殿様の命令でたくさんの職人たちがお城を建てる為に集められました。
その中には朝鮮から来たあの職人もいました。
山奥から湖の近くに引っ越して、
お城造りに必要な釘や鉄の道具ばかり作り続けました。
朝鮮の鍛冶職人は、いつの頃からか名を「弥九郎」と決め
鍛冶屋の名前として「国重」と名乗るようになりました。
数年後、お城と城下町が完成しました。
お城が出来上がると、今度はお侍のために刀を作りました。
その刀はとても素晴らしい物だったので、
殿様は国重に褒美として
「高麗」という名字を与えました。
つづく。
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