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松江城のお殿様 京極氏 大津城の戦い

つづき。


毛利元康 対 京極高次

大津城の籠城戦が始まりました。


高次は戦の直前に

自ら城下を焼き尽くしていました。

これは、遮蔽物を無くし

毛利軍を丸裸にさせるためでした。


1万5千の毛利軍の攻撃は凄まじいものでしたが、

3千の京極軍もしぶとく応戦しました。


一刻も早く主戦場の関ヶ原へ向かいたかった元康は

大津城の攻略を急ぎ

大筒を撃ち込む作戦をとります。


城内を破壊し、戦意喪失・降伏を待ちましたが、

相変わらず食い下がる京極軍に苛立ち、

さらには、堀をも埋めてしまいました。


本丸のみとなった大津城が落ちるのは時間の問題。

元康は使者を送り、降伏を求めました。


ですが、高次はその申し出をつっぱねます。

大津城の死守は家康との約束でしたので、

最後まで戦うつもりでした。


しかし、戦況が悪化していく中、

家臣からも度々降伏を進言されるようになりました。

これ以上の抵抗はもはや無意味。



戦闘開始から8日目の夜、

高次は決断しました。

ついに降伏したのです。




つづく。







松江城のお殿様 京極氏 高次の裏切り

つづき。



石田三成
 に味方した 京極高次 は

大津城を出発し西へ向かいました。


ところが、途中まで進軍して

いきなり引き返してしまいました。


大津城に舞い戻った高次は

すぐさま籠城戦の準備に取り掛かります。


なんと、高次は本当は東軍 徳川家康 についていたのです。


三成を欺き、その状況を逐一家康に報告していました。


この高次の行動は即大坂に伝わりました。


高次の妻、 の姉 淀殿 も、この動きに驚きました。

使者を送り、高次の説得を試みましたが

高次の固い意志を動かすことはできませんでした。



西軍は急遽、大津城を攻めることになり

総大将 毛利輝元 の叔父 毛利元康 が

これにあたりました。


大津城に籠城する兵三千人に対し、

毛利軍は一万五千人の軍勢を集結させました。


そして、元康は大津城攻撃の命令を下します。



つづく。







松江城のお殿様 京極氏

つづき。



松江藩藩主、堀尾氏は3代 忠晴 で断絶となりました。

その次に松江にやってきたのは

京極忠高 (きょうごくただたか)でした。



少し時をさかのぼりましょう。

関ヶ原の戦いのちょっと前のことです。


徳川家康 が会津の 上杉景勝 討伐のため

大坂から江戸へ向けて出発しました。


家康は、途中にある近江国大津城に立ち寄りました。


大津城の藩主は忠高の父 京極高次 (きょうごくたかつぐ)でした。


家康は高次に、会津征伐に協力するよう要請しました。

高次は弟の高知(たかとも)と家来を従軍させました。


さらに家康は、 石田三成 ら西軍から大津城をを守るように

手紙で何度も頼みました。

一方、その三成からも西軍につくよう求められていました。


義兄の豊臣秀吉方 西軍となるか、

義弟の徳川秀忠方 東軍となるか、

難しい問題でした。



結局、高次は西軍に属することを決断します。

息子の忠高を人質として大坂へ送りました。



関ヶ原の戦いの2週間前

高次は西軍の後を追い兵を東へ進めます。




つづく。